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春巻と杏仁豆腐

歌集を中心に読んだ本の感想など。

ぼくたちは。

山田航『水に沈む羊』(港の人 2016年)

 

走るしかないだらうこの国道がこの世のキリトリセンとわかれば(p50)

 

  随分前にNHKドキュメント72時間という番組で「オン・ザ・ロード国道16号の幸福論」という、国道16号線をたどりながら界隈で暮らす若者や深夜を歩くホームレスが何に幸せを感じているかを映したものを見た。大型ショッピングモールやチェーン店といった現代の日本のどこにでもありそうな風景のなかで人々はそれぞれの幸福を保っているという印象だった。居心地のいい地元から出たくないという若者が幸せそうで、それでいて私には同時に倦怠も感じさせた。山田航の『水に沈む羊』を読んだ時、その番組のことをふと思い出した。1983年生の山田航氏と私(1982年生)は生育環境も違うが、80年代前半に生まれ、バブルって何?、と思いながら90年代から崩壊していく世界やITの進化という時代を生きてきて、なんとなく何か共通する風景を見てきた気がしないでもない。

 

果てなんてないといふこと何処までも続く車道にガストを臨む(p22)

 

この歌集の前半を読んだ時、日常はどこまでも続いていてそれは幸福でもあるが、時に残酷でもあることを感じる。逃れられない。共通する風景は、閉塞感をともなって「ぼくたち」を包んでいる。それが地元と呼ばれるものだろう。歌を読んでいくうちに、「ぼくたちはどこへ行くの?」と呼びかけられている気さえしてきた。

 

鉄塔の見える草原ぼくたちは始められないから終はれない(p26)

抱き合はう逃避のために階下には飛ぶ必要のないこどもたち(p32)

愚かものには見えない銃と軍服を持たされ僕ら戦場へ往く(p50)

 

 岡崎京子という漫画家の『リバーズ・エッジ』は名著で、90年代の高校生たちの日常とそこにある死を鋭敏な感性で描いている。登場人物は屋上で過ごし、川べりで死体を見つけたり、拒食症の少女が出てきたり、ともかく私が10代の頃に読んだ漫画としては最良と呼べる作品だ。その死体が埋まっている川べりの草むらと、山田の歌の草原は近しいと思う。ここで、『リバーズ・エッジ』に引用されているウィリアム・ギブソンの詩を紹介したい。

 

この街は

悪疫のときにあって

僕らの短い永遠を知っていた

 

僕らの短い永遠

 

僕らの愛  

                     

…略

 

深い亀裂をパトロールするために

 

流れをマップするために

 

落ち葉を見るがいい

涸れた噴水を

めぐること

 

平坦な戦場で僕らが生き延びること

 

山田の詠む「戦場」は、岡崎の描きたかった「平坦な戦場」ともリンクしているだろう。本当の戦場ではなく、日常というどこまでも続く戦場なのである。感性が研ぎ澄まされるにつれ、生きにくい日常であるからこそ、「見えない銃と軍服を持たされ」る。そうして、戦うことに疲弊して日常から離脱する「階下には飛ぶ必要のないこどもたち」が存在する。この歌からは悲痛な叫びが感じられた。

 

 水に沈む羊のあをきまなざしよ散るな まだ、まだ水面ぢやない(p78)

 

 上句と下句で主体の視点が転換するように読んだ。この一首が入っている連作「水槽」は思春期のいじめを詠んでいる。被害者である主体を、上部から見ているもうひとりの主体が上句にはいる。それでいて、浮上しようとする下句の主体の存在が同時に介在する。主体の痛みが深刻であるからこそ、痛みを分離するために、それを見ているもうひとつの主体が上部から眺めている。いじめは暴力である。教室という閉じられた空間で日常の憎悪がふりつもると、理由もなくターゲットに暴力が向けられる。「まだ、まだ水面ぢやない」という口語で詠まれた心の声が読者と歌のシンクロ率を高める。こういう場面を詠むのは、ゆったりとした文語では難儀する。口語でこそ、響くものがある。

 

溺れても死なないみづだ幼さが凶器に変はる空間もある(p84)

球根の根が伸びてゆく真四角の教室にそれぞれの机に(p85)

彫刻刀を差し込む音が耳穴にがさりと響く夕影のなか(p88)

 

もし、『水に沈む羊』を現在の思春期(いじめに遭っていたり何かしらしんどかったりする子どもたち)が読めば、掬いとられるものがあるだろう。

この一冊の歌集が「平坦な戦場で生き延びるため」に必要なアイテムになりうる。歌の力は、そこにあるだろう。

 

強く手を握れば握るだけふたり残せるもののない愛の日々(p74)

 

 最後に、「ぼくたちは」大人になった。それなりに生活して、野望なんて抱かない(という人が多いかもしれない)。でも、少子化で一億総活躍社会だって言われているし…、何か得体の知れないものから「頑張れ!ザ・ポジティブで行こうよ」というスローガンを掲げられ、ちょっとそれにはついていけない気持ちでいるひともいるかもしれない。現実に生きる「ぼくたちは」もっと深刻だ。子どもがいればかわいいし大事だが、子どもを持つことが第一の価値のように掲げられることに怪訝な表情をするひとだっているだろう。子どもがほしくてもできない夫婦だっているし、不妊治療の末に苦労して授かった夫婦もいるし、仕事でそれどころではない夫婦もいるし、子育てが大変な夫婦もいる。多種多様である。そういうことをふまえてこの一首を読むと、「ふたり」でいることに「残せるもののない愛の日々」だとしても、肯定したくなる。残せるもののない、と言いながらそこには何か残っているだろう。希望だってあるだろう。そんな風に歌集の終盤、現在に生きる80年代生まれの今を感じた。

 

歌集を閉じてもまだ、「ぼくたちはどこへ行くのだろう」とずっと呼びかけられている気がする。この後の山田航の歌集を待ちたい。

 

 

余談メモ

葉ね文庫で買った一冊。港の人の本は美しい。1200円。

(啄木についてもっと私が知識を得たら読み直す予定)

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